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熊おおじいのおはか [歴史]

熊おおじいが満州から
自分の子供たちと妻
そして頼まれたよその男の子薩君を連れて
帰ってきた話は以前しましたが
薩君は日本に帰国して
当分は熊おおじいの家族と
一緒にくらしていました。

当時は戦争直後の上
日本に帰るときに
お金であった満州国の紙幣は
紙切れになっていました。
わずかの財産も
船に乗る前か後かに
没収されたりしたので
帰国しても
とても苦しい生活でした。

おばあちゃんの子供のころは
給食がなく
お弁当でした。
貧しい時代でしたが
農家の子はご飯がありました
いわゆる日の丸弁当でしょうか
でも
農家でない家では
弁当を作るコメはありません
おばあちゃんは
家族が貧しいことをよく知っていました。
両親も食うや食わずでいるのに
自分だけ
弁当を持っていきたい、とは、
とても言えませんでした。

「お昼を食べに帰る」と学校で
うそついて
家に戻っても
両親は仕事で留守。
何も食べるものもなく
たべたふりをして
午後の授業に戻っていったそうです

こういう子はたくさんいたと思います
だから
給食制度がどんなにありがたかったことか。

話がそれましたが、
貧しい中
子供も学校の後
仕事を手伝い
必死で生きていました。
そんな状況でしたから
薩君も悪いと思ったのでしょうか
おばあちゃんによると
いつの間にか
いなくなったしまったそうです
薩君の親の故郷の親戚を頼り
出て行ったらしいのです


薩君は結婚し、子供も生まれました
ところが
どこかで道を踏み外し
妻と離婚し
早死にしてしまいました。

亡きがらを引き取る人はいませんでした。
そこで
熊おおじいの墓に
一緒に骨をおさめたそうです
今は熊おおじいとおおばあと
一緒に薩君も眠っています

杉原 千畝(すぎはら ちうね)さんの
命のビザが
ユネスコの世界記憶遺産に
推薦されることになったと知りました。
外務省の意向に逆らってまで
たくさんのユダヤ人を救った彼の功績は
本当にすばらしく、
誇らしいことです

熊おおじいが
薩君を救ったことは
杉原さんのように歴史に名前は残らない
ささいなことかもしれません
それでも
残留孤児がたくさん存在してしまうぐらい
満州から日本に戻るのが困難だった時代に
よその子をわが子とともに
命がけで連れ帰り
同じ墓に受け入れたこと。
結構すごいことだと思いました。
世界記憶遺産にはならないし
薩君の親戚からさえ
感謝もされていなかったようですが
熊おおじいは
人間としてやるべきことを黙ってやった。

そのおかげで薩君は生き延び
破たんしたとはいえ
結婚して子供も生まれた
せめて家族ぐらいは
熊おおじいの偉業を覚えて
伝えていきたいと思うのです

今ごろは
薩君も自分の両親と熊おおじい夫婦に
天国で存分に甘えているでしょうか
https://goo.gl/photos/DphxUEjokMqJVQR16



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